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[研究成果] 岸班と古関班の領域内共同研究がNat Commun誌に掲載されました!

2020.11.11

Eto H, Kishi Y*, Yakushiji-Kaminatsui N, Sugishita H, Utsunomiya S, Koseki H,  Gotoh Y*. The Polycomb group protein Ring1 regulates dorsoventral patterning of the mouse telencephalon. Nature Communications Nov 11 2020, 11: 5709 (2020)


脳の地図はどうやって作られるか?大脳皮質と基底核を作り分ける初めのメカニズム–

衛藤 光(東京大学大学院薬学系研究科 博士課程3年)
岸 雄介(東京大学大学院薬学系研究科 講師)
後藤 由季子(東京大学大学院薬学系研究科 教授/東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)主任研究者)

ポイント:
◆大脳が形成されるときに、大脳皮質などを産み出す背側神経幹細胞と、大脳基底核などを産み出す腹側神経幹細胞が分化する初期のメカニズムを明らかにしました。
◆脳形成の地図を作るためにはモルフォゲンという位置を知らせる分子が重要です。正しい場所にのみモルフォゲンが発現するように、ポリコーム群タンパク質が働いていることを見出しました。
◆近年、脳発生の異常が種々の発達障害・精神疾患に結びつくことがわかってきています。脳の地図が正しく形成される機構を知ることはこれらの障害を理解するために重要です。

概要:脳が発生する際には、それぞれの部位に存在する神経幹細胞(注1)が異なる種類のニューロンやグリア細胞を生むことで部位特有の機能の獲得に貢献します。例えばニューロンには大きく分類して興奮性ニューロンと抑制性ニューロンが存在しますが、大脳においてこれらは発生期に背側と腹側の神経幹細胞からそれぞれ産み出されます。この脳の場所(背腹軸という位置の情報)に従った神経幹細胞の形成においては、大脳の最も背側の領域から分泌されるモルフォゲン(注2)のBMPとWntが神経幹細胞を「背側化」し、最も腹側の領域から分泌されるShhが「腹側化」に貢献することがわかっていました。しかし、どのようにして特定の場所の神経幹細胞からのみBMP、Wnt、Shhが発現するのかは不明でした。今回、東京大学大学院薬学系研究科博士課程3年の衛藤光大学院生、岸雄介講師、後藤由季子教授らの研究グループは、ポリコーム群タンパク質複合体(以下、PcG;注3)に注目してそのメカニズムの一端を明らかにしました。まず、PcGの機能を欠損したマウスを作成すると、腹側の神経幹細胞が背側化することを見出しました。そしてPcGの働きを詳細に解析すると、本来発現するべきでない領域においてBMPやWnt遺伝子の発現をPcGが抑制して、モルフォゲンの発現領域を制限していることが示されました。この成果は、興奮性・抑制性ニューロンのバランスが崩れて発症する自閉症などの精神発達障害の発生メカニズムの解明などにつながることが期待されます。

内容

  • 研究の背景・先行研究における問題点

大脳の背側に位置する大脳皮質と腹側に位置する大脳基底核は、認知機能や運動調節などを連携しながら制御する重要な部位です。脳が発生する際には、背腹軸に沿ってそれぞれの部位に存在する神経幹細胞が異なる種類のニューロンやグリア細胞を生むことで部位特有の機能の獲得に貢献します。例えばニューロンには大きく分類して興奮性ニューロンと抑制性ニューロンが存在しますが、大脳においてこれらは発生期に背側と腹側の神経幹細胞からそれぞれ産み出されます。この脳の場所(背腹軸という位置の情報)に従った神経幹細胞の形成においては、大脳の最も背側の領域(背側正中線)から分泌されるモルフォゲンのBMPとWntが神経幹細胞を「背側化」し、一方最も腹側の領域から分泌されるShhが「腹側化」に貢献することがわかっていました。しかし、どのようにして特定の場所の神経幹細胞からのみBMP、Wnt、Shhが発現するのかは不明でした。

  • 研究内容

今回、東京大学大学院薬学系研究科博士課程3年の衛藤光大学院生、岸雄介講師、後藤由季子教授らの研究グループは、様々な組織の発生や幹細胞の制御に重要なエピジェネティック因子であるポリコーム群タンパク質に注目して解析を進めました。まず、PcGの必須構成因子であるRing1タンパク質を神経系で欠損したマウスを作成して、胎生早期大脳における背側・腹側神経幹細胞の分化を解析しました。すると興味深いことに、腹側領域に存在する神経幹細胞において、背側の神経幹細胞の運命決定に関わる因子(Pax6)を発現するようになった一方、腹側の神経幹細胞の運命決定に関わる因子(Nkx2.1やGsx2)の発現が減少することがわかりました。このとき、大脳腹側領域では興奮性ニューロンのマスター制御因子であるNeurog1の発現が増加し、抑制性ニューロンのマスター制御因子であるAscl1の発現が低下していました。つまり、腹側神経幹細胞の分化運命が背側化したことが示唆されました。これらの結果から、PcGは腹側に位置する神経幹細胞が腹側の性質を獲得するのに重要な役割を果たすことがわかりました。

では、PcGはいかなるメカニズムを介して神経幹細胞の運命を制御しているのでしょうか?PcGはヒストンH3のリジン27にトリメチル化(H3K27me3)などによって遺伝子発現を抑制することが知られています。そこでPcGによる遺伝子発現への影響を調べるために、Ring1欠損細胞を用いて網羅的遺伝子発現解析を実施したところ、興味深いことに腹側神経幹細胞においてBMPやWntの遺伝子の発現が増加していることがわかりました。重要なことに、H3K27me3やRing1Bのゲノム上の局在を調べたところ、背側正中線以外の領域でBMPやWntの遺伝子座に集積していることがわかりました。さらにBMPやWntが腹側神経幹細胞で異常に活性化すると、腹側モルフォゲンShhの発現が抑制されてしまうことも明らかになりました()。これらの結果から、PcGはBMPやWntの背側正中線以外の領域での発現を抑制することで、腹側神経幹細胞の適切な分化を促していることがわかりました。

図 本研究のモデル図

  • 社会的意義・今後の予定など

本研究は、大脳皮質と大脳基底核という非常に重要な脳部位を決定する初めのステップを分子的に明らかにした点で大きな意義があります。また背側と腹側の大脳神経幹細胞からそれぞれ生み出される興奮性と抑制性ニューロンの正しいバランスは脳機能に重要であり、本研究はそのバランスが崩れて発症する精神発達障害の理解につながることが期待されます。

幹細胞が体を作り上げる過程において、特定の細胞種に分化すると、その他の細胞種分化に関わる遺伝子群は抑制されます。本研究は、そのような幹細胞の運命決定においてPcGが背腹軸に携わるモルフォゲンという重要な因子を「領域特異的に」抑制することを初めて示したものです。今後PcGがいかにしてこのような時間と場所に依存した遺伝子抑制を行っているのかを示すことで幹細胞の運命制御の基本原理の解明に近づけると考えられます。

用語解説

注1:神経幹細胞:中枢神経系を構成するニューロンやアストロサイト、オリゴデンドロサイトなど主にニューロンの働きを助けるグリア細胞を産み出す幹細胞です。脳の部位によって異なる種類のニューロンやグリア細胞を産み出すことが知られています。

注2:モルフォゲン:様々な組織の発生において位置情報を与える分泌性因子の総称であり、BMP、Wnt、Shhなどが含まれます。分泌源となる組織から濃度勾配が形成され、その強度(すなわち「位置」)に応じて細胞内のシグナル経路が活性化されることが知られています。

注3:ポリコーム群タンパク質複合体(PcG):ヒストン修飾などのエピジェネティックな制御を通じて遺伝子の転写を主に抑制する転写因子複合体です。様々な組織の発生で重要な役割を果たすことが知られており、神経幹細胞でも分化能や増殖などを制御することが知られています。