[研究成果] 坂下班の研究がNat Genet誌に掲載されました!
2023.03.03
太古のウイルス”化石”がもたらす個体発生制御の新観点
-ウイルス由来配列が宿主のクロマチン構造制御を担うことを発見-
[研究の概要]
慶應義塾大学医学部分子生物学教室の坂下陽彦助教、北野智大大学院生、石津大嗣専任講師ならびに塩見春彦教授らの研究グループは、ほ乳類のゲノム中に散在する太古のウイルス化石を標的とする多コピー遺伝子解析技術を開発し、およそ7000万年以上前に感染したウイルスに由来し、マウスゲノム内で独自に進化したMERVLの機能欠損によって正常な個体発生に障害が生じることを明らかにしました。これまでに、体の全ての細胞への分化能を持つ全能性期にあたる受精直後のマウス胚において、特異的に内在性レトロウイルスの一種であるMERVLが強い転写活性をもつことが知られていました。しかしながら、ゲノム中に1000コピー以上存在するMERVLを標的することの困難さにより、MERVLの発現は単なる「全能性マーカー」に過ぎないと結論付けられ、その機能的意義の追求はこれまでほとんど行われてきませんでした。そこで本研究では、ゲノム上に散在するMERVLを高効率にターゲティングする多コピー遺伝子解析技術を開発し、マウスの個体発生にMERVLが必須の役割をもつことを明らかにしました。本成果は、生物種特異的なウイルス化石による宿主ゲノム制御という新たな観点から、複雑で多様性に富むほ乳類の個体発生の理解に貢献します。
[ポイント]
・全能性期特異的に発現するMERVLが、マウス初期発生に必須であることを明らかにしました。
・MERVLは全能性状態の終結と個体発生開始のメカニズムに働くことを発見しました。
・MERVL欠損胚は、初期分化の失敗やゲノム不安定性により発生が停止してしまいます。
[研究の背景]
内在性レトロウイルス (Endogenous RetroViruses: ERVs) は、生物進化の過程で宿主ゲノムに組み込まれた外来性レトロウイルス感染の痕跡であり、宿主の進化および生物多様性の獲得に重要な役割を果たしていたと考えられています。その一方で、ERVsは宿主の転写機構を利用した転移活性を保有するため、変異原としての性質も合わせもちます。そのため、ほとんどの体細胞組織ではDNAメチル化や抑制的ヒストン修飾などのエピゲノム情報を介して強固に発現が不活性化されています。しかしながら、興味深いことに、受精後の初期発生過程では多様なERVs因子の発現がむしろ亢進しており、その一種であるMERVLは全能性をもつ2細胞期胚特異的に高発現します。この特性から、これまでMERVLはその発現細胞が全能性を保有するかどうか識別するためのマーカーとして繁用されてきましたが、その機能的意義の追求はほとんど行われてきませんでした。
[研究の内容]
MERVLを含むERVsは、高度に保存されたウイルス由来配列をゲノム中に1000コピー以上保有するため、伝統的な遺伝子ノックアウトやゲノム編集技術を用いた機能解析が困難でした。そこで当研究グループは、コンピューター解析からMERVLと相補的に結合する核酸配列候補を予測し、試験管内アッセイにより最も効率的にMERVLをターゲティングする3種類のアンチセンスオリゴ核酸を見出しました。さらに、これらアンチセンスオリゴ核酸を受精卵へ顕微注入することで、MERVLの発現を強く抑制することに成功しました。
MERVL欠損下での胚発生をモニタリングすると、細胞の初期分化やゲノムの安定性の維持に異常が観られ、着床期より前の初期発生の段階で致死となってしまうことが明らかになりました (図 1)。さらに、分子レベルの解析を進めると、通常全能性期特異的に発現するはずの遺伝子群が、MERVL欠損胚では発生の進行を経ても発現が高く維持され続けていることが分かりました。加えて、ゲノム全体の遺伝子発現とクロマチン状態をコントロールとMERVL欠損胚で比較した結果、MERVL欠損胚では、MERVLを中心とした近傍数十キロベースに渡って転写やクロマチンアクセシビリティが減少していることが明らかになり、宿主のクロマチン再構築に向けてMERVLの転写がゲノム広範囲に機能していることが示唆されました。これらの結果から、MERVLの発現は、宿主が全能性獲得後、その発生プログラムに従って個体形成を開始するためのスイッチとして働いていることが推察されます (図 2)。
これらの研究成果は、ほ乳類の初期発生にERVsが必須な役割をもつことを示した初めての報告になります。現生動物の進化の過程では、太古からERVsの感染や転移が繰り返され、その生物固有のゲノム構造の形成と進化に寄与してきました。今回の研究で対象とした受精後の初期発生過程は、生物種による多様性が広く見出されており、MERVLを含むERVsの宿主ゲノム制御が、種特異的な個体発生の鍵として発達した可能性が十分に考えらます。そのため、本研究で打ち出したERVsによる個体発生制御という新たな観点が、発生生物学分野でのさらなる発見に寄与することが期待できます。